「信じる」

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「解放、そして開放へ」

第1章  〜解放への道〜

 

 

「信じる」

 

「信じる」ことと

「鵜呑みにする」ことは違う。

「信じる」ということは

決意が必要だ。

のちに信じたことが

間違っていたと知っても

自分で決めたことなのだから

人のせいにする必要はない。

ただ、間違いを知った上で

次はどう進むか。

それだけなのだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

写真は前回に引き続き

伊豆の大室山。

この時は黒焦げでしたが、

今はきっと青々と緑が茂る

さわやかな山に

なっていることと思います。

 

 

 

 私の「自分の人生」は

6年前に離婚をし

はじまりました。

 

それまでの40年間の人生を

振り返ってみると

「正解探しの人生」だったような

気がしています。

 

そして

6年前にスタートをきった

「自分の人生」は

自分ってどんな人なんだろう?

何が好きで

何が得意で

どんな愛を発揮できるんだろう?

と、本当の自分を探し続けてきた

「自分探しの人生」かな。

 

 

この

「正解探しの人生」と

「自分探しの人生」。

 

何が違うのかなって

考えた時

 

その大きな違いのひとつに

 

「正解を自分の外に求めるか

自分の内に求めるか」

 

っていうのがあります。

 

 

今はね

 

自信を持って言えます。

 

「正解は自分の中にしかない」と。

 

 

 

世の中には

 

本当に多くの

「正解」が出回っています。

 

例えば

健康法ひとつにしても

 

「朝ご飯は食べない方がいい」派と

「朝ご飯は食べた方がいい」派があります。

 

「減塩」派と

「良質の塩をしっかりとりましょう」派が

あります。

 

それからたとえば

「実は○○病の原因の90%はこれだ」

っていうやつね。

 

言う人によって

原因が違うのにもかかわらず

それぞれにそれを証明する

データがあったりする。

 

 

じゃあいったい

どれが本当の「正解」なのか?

 

 

これね

 

ちっぽけな私たちの脳で考えても

わからないことがほとんどなのでは?

って思うのですよ。

 

 

そして

「正解」は

決してひとつではない

とも思うわけです。

 

悪意がある場合は別として

 

それぞれが

そこからみた「正解」を

発信している。

 

ただそれだけのこと。

 

 

じゃあ

 

自分にとっての「正解」は

どれなんだろう?

 

となったとき

 

これかな?って思ったものを

「鵜呑みにする」んじゃなく

「信じる」ことを選択した上で

使ってみて

もしくは実践してみて

結果を感じてみて

 

それではじめて

自分の「正解」

または「不正解」になる。

 

それが

「正解を自分の内に求める」

 

ということです。

 

 

世の中ってね

「騙されないように」という

不安を煽る風潮がありますが

 

騙されない自分をつくるためには

情報だけで判断するのではなく

 

自分を信じ

自分の中の正解を感じるための

経験をコツコツと重ねていくことが

一番早いんじゃないかと思っています。

 

そしてね

自分を信じることなくして

「自信」はつきませんよ。

 

 

 

 

さあ、それでは今日の質問はこちら

 

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 あなたがいま、強く信じたいことはなんですか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

よかったらご自分に

この問いを投げかけてみてくださいね。

 

あらためて問うことで

人生が少しだけ豊かになるかもしれませんよ。

 

 

 

↓   過去にご紹介した「解放、そして開放へ」シリーズです ↓

①「解放、そして開放へ」

②「解放、そして開放へ」第1章 〜解放への道〜 「透明」

③「解放、そして開放へ」第1章 〜解放への道〜 「輝き」

④「解放、そして開放へ」第1章 ~解放への道~ 「水」

⑤「解放、そして開放へ」第1勝 ~解放への道~ 「宇宙」

⑥「解放、そして開放へ」第1章 ~解放への道~ 「中心」
⑦「解放、そして開放へ」第1章 ~解放への道~ 「大地」