「水」

 

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「解放、そして開放へ」

第1章  〜解放への道〜

 

 

「水」

神社で行う禊ぎや手水は

汚れを落とし身を清めるため。

穢れとは「気枯れ」とも書き

気が枯れている状態。

そう、身を清めるとはエネルギーの滞りを流し

満ちた状態になるためなのだ。

食べ過ぎたら胃腸に負担がかかり

体の巡りが悪くなるように

心の負担は気枯れの原因になる。

私たちは、余計なことに一生懸命エネルギーを注ぎ

気枯れたと、嘆いてはいないだろうか。

「水に流す」ことを、忘れてはいないだろうか。 

 

 

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4月に開催させていただいた

写真展の3枚目です。

 

そして昨日の「輝き」に続き

「母の白滝」での一枚。

 

 

 

数日前に 

ユーカリLOVEの会

でも感情について少し触れましたが

 

感情をジャッジせず

押し込めたり

なかったことにしないで

そのままをただ感じてあげることが大事。

 

 

そうすることで

気が枯れた状態から回復し

本来の揺るぎない力や

愛が発揮しやすくなるから。 

 

 

これってね

本来のエネルギーを

使うべきところに

ちゃんと使うことができるってことです。

 

 

神社での禊ぎや手水は

参拝する前の準備として

最初にするものですよね。

 

神社に行くことの目的は

神様の前に立ち

感謝やお願い事をすること。

 

 

それと同じで

人生の目的に向かうための準備として

感情と向き合い

「水に流しておく」こと。

 

それによって

目的のためにしっかりとエネルギーを

使うことができるようになります。

 

 

そして最後に

とっても大切なこと。

 

それは

感情は「感じる」ものだということ。

 

感情を人生を進むときの「判断基準」にすると

揺れたり暴走したり

どこに向かいたいのかさえ

わからなくなってしまします。

 

 

「判断基準」にすべきは

自分の中心に灯る炎。

誰しもの中心にある

揺るぎない部分なのですよ。

 

 

 

 

 

さあ、今日の質問はこちら

 

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あなたは、どんな時に怒りを感じますか?

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よかったらご自分に

この問いを投げかけてみてくださいね。

 

あらためて問うことで

人生が少しだけ豊かになるかもしれませんよ。

 

 

 

↓   過去にご紹介した「解放、そして開放へ」シリーズです ↓

①「解放、そして開放へ」

②「解放、そして開放へ」第1章 〜解放への道〜 「透明」

③「解放、そして開放へ」第1章 〜解放への道〜 「輝き」